久保優太の勇気ある踏み込み

posted : 2017/10/05

2014年にお蔵入りしたコラムを、久保優太優勝に合わせて掘り起こしてきました。

身動きが取れなかった。

どのくらいの間、口を開けたままだったろうか。気づくと手の平が汗でびっしょりと濡れていた。多汗症でもないのに、この汗の量は尋常ではない。ジャケットはとうの昔に脱いで膝の上に置いてある。暑さのせいではない。胸元にとどまりかねた一粒の汗が、シャツの下でみぞおちの辺りまで落ちていく。その気持ちの悪さを感じて我に返った私は、ようやく口を閉じた。

 

「勇気ある踏み込み」を目の当たりにした私は、放心していた。

 

2014年11月3日、K-1が日本のリングで復活した。幸運にもK-1の記念すべき復活第1回目の大会を観戦することができた(観戦していなかったら、きっと不運を嘆いていただろう。それくらい衝撃的な大会だった)。この日は-65kg級の世界トーナメントが行なわれた。

本戦出場者は、日本人が少しばかり多い気もしたが、そうそうたる面子だったのは間違いない。運営サイドの、現状で揃える限りの全力を尽くした、という気持ちは充分に感じられる顔ぶれだった。

「今回のK-1はKrushの延長じゃないか」

大会前には、そんな意見も見聞きした。しかし、会場に居合わせた観客やGAORAの生放送を目撃した視聴者は思ったのではないだろうか。

「これぞみんなの待ち望んでいたK-1だ」と。

 

オープニングファイトからトーナメント準々決勝まで、熱戦に次ぐ熱戦が繰り広げられた。会場のボルテージも次第に高まっていく。そして、私のリング上挨拶が行なわれた。「愛を知る県、愛知県の〜」という私のお馴染みのくだりで、熱気に包み込まれた会場は少しクールダウンした(も、もちろん、狙い通り、である。どうせつまらないことを言ったのだろう、という要らぬ詮索はご遠慮願いたい)。私は来る2015年、1月18日に開催されるK-1に出場する。そこから契約が続く限り、K-1のリングで戦っていくことをリング上で告げた。

この日の大会には、かつてのK-1MAXの1、2、3が勢揃いしていた。魔裟斗、小比類巻貴之、そして佐藤嘉洋だ。こんな機会は滅多にない。せっかくなので記念写真を撮ろうと思って、リングを降りてから両者を誘って3人で並んだ。そうやって、笑顔で一つのフレームに収まる日が来るなんてね。それぞれの立場や進んできた道は多少違うけれど、K-1のリングがまたこの3人を集めてくれた。リングの神様ありがとう。そして写真を一緒に撮ってくれたお二方、心から感謝します。

本心としては、トーナメントの全試合を詳しく説明していきたいのだけれど、それを語るにはページ数が足りない(実はすでに書いていたのだけれど……指定された文字数の倍以上のボリュームになってしまったので泣く泣く削除した)。ということで、今回はその中でも特別な緊張感を放っていた珠玉の一戦について語りたい。

それが、久保優太vsゲーオ・フェアテックスが対戦した準決勝だ。

ともにサウスポースタイルの両者。久保は圧力をかけて、ゲーオは圧倒的な技術で戦う。しかし、互いに力は拮抗しているのか、試合はなかなか動かない。身体のキレは久保の方が良い。準々決勝のときと同じように小気味良く体を動かし、相手に的を絞らせない。そして、久保は戦いそのものを楽しんでいるかのように微笑をたたえていた。1年振りのリングをしっかりと堪能している様子だった。

対して、ゲーオの見切りの良さも際立っている。ヒット率の高い久保のパンチが空を切る場面も多い。2ラウンドに入ると少しずつ試合が動き始め、互いの技が交錯し始める。久保のタイミングさえ合えばゲーオも倒れるぞ、と思っていた。

久保とゲーオは左ストレートを同時に打った。そして両者とも、その後に右フックを繋げた。その刹那……膝から崩れ落ちるように倒れたのは久保だった。私は開いた口が塞がらなかった。うつろな目で天井を仰ぎ見る久保。ぼんやりと意識はあるようだが、脳からの命令は「もう立ち上がるな」だった。

 

目の前で久保優太が崩れ落ちていた。

 

会場は悲鳴と歓声が入り乱れて、それは凄い騒ぎになっていた。このトーナメントで一番のクライマックスだったといえよう。

優勝候補の久保は、準決勝で散った。左ストレートからの右フックの交錯。あれは、両者とも確信的な「勝つためのパンチ」だった。「蛮勇の踏み込み」ではなく、「勇気ある踏み込み」だ。私は、久保優太が大の字になって倒れている姿をまったく想像していなかったので、口を開けたまましばらく呆然としてしまった。だが、私は勝負の残酷さと同時に、(久保には申し訳ないが)美しさのようなものまで感じてしまったのである。

勝負はどちらかが勝てば、どちらかが負ける。それが世の常である。この世界に生きている中で、「勇気ある踏み込み」をできる人間は一体どれだけいるのだろうか。約1年振りのリングで、周りのライバルたちが次々と台頭していく中、じっと我慢して怪我を治し、この日のために厳しい練習に耐え備えた。

「もう自分は世界では通用しないんじゃないか」

「必要とされていないんじゃないか」

そんな思いに襲われたことが何回もあったことだろう。だが、久保は応援してくれる人のため、サポートしてくれる人のため、その焦燥感、劣等感をプラスのエネルギーにして、「勇気ある踏み込み」をした。そして、負けた。

現実は甘くはない。努力が必ず報われるわけでもない。だからこそ、今回の久保優太は美しかった。これまで幾度となく彼の試合を見て来たが、今までで一番美しかった。

そして、私はこのトーナメントを通じてもっとも感動したことは、ゲーオの優勝でも左右田泰臣の奮闘でも、木村“フィリップ”ミノルの涙でもなかった。試合翌々日、久保がFacebookで書き込んだ言葉だった。

 

「こんな事を言うのはあれなのですが、試合中本当に楽しかったです。一年振りのリングはやっぱり最高でした」

 

リングは私たちの青春そのものなのだと、私は思う。「戦う」という魅せ方で、一人ひとりの人生を表現し、光っては影を落とし、歓喜を上げ、時に崩れ落ちる。観る者は、彼らの戦いから人生を学ぶことになるだろう。8人の戦う男がいれば、8通りの生き様を知ることになるだろう。

さあ、新しいK-1が、ついに始まった。

追記

上記の文章は、いまは休刊となった雑誌連載時のお蔵入りになった2014年当時の原稿である。
K-1トーナメント制覇を記念して、PCのフォルダに寝かせておくにはもったいないので公開することにする。

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