今日の言葉
サービス精神
さーびすせいしん
この言葉を読む1130 仕事として対価を得るプロである以上、持ち合わせなければならぬ。
あいうえお順、辞書名、検索、今日の言葉。辞書への敬意を持ちながら、佐藤嘉洋の解釈を主役として読むページです。
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さーびすせいしん
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辞書の旅
辞書の語釈を入口に、佐藤嘉洋の解釈・記憶・文脈へ進むための検索室です。
なにとぞ君が出す考察・持論を読んで、どの見出し語のことかを4択で選びます。10問連続正解で合格です。
辞書の旅検定
制限時間は各問20秒。10問連続正解で合格です。
佐藤の解釈・持論
結果
4,500件
特に新しい場所に来たときには気をつけたい。
その場所にはその場所の礼がある。
傲慢な私には、丁寧過ぎるくらいで丁度いい。
知っていることでも、一つ一つたずねて慎重に行うのが礼儀であるということ。
やるかやらないかで死が濃厚なら、やって死ぬ。
せっぱつまった状況を打開するため、必死で危険に飛び込んでいくこと。
助かる望みのほとんどない絶望的な状況にあって、なお生きる道を探し求めることから。
「死中に生を求む」ともいう...
しちゅう、かつ
地球に前蹴り。
身もだえするほど悔しがったり怒ったりするさま。
怒りや悔しさのあまり、地面を何度も激しく踏み鳴らすことから。
じだんだ、ふ
親しき仲にも礼儀のない人は、そもそも根が失礼なのだから、反省し修養すれば、人間関係も円滑になる。
どんなに親しい間柄でも、礼儀は守らなければならないということ。
親しみが過ぎて礼を失すると、不和となりやすいということ。
悪いことを良いことだと思い込んだまま死ねば、幸福である。
人生には浮き沈みがあるということ。
悪いことだけが続くのではないということ。
これは小説化決定かな!
恋を成就させる難しさのたとえ。
また、男の恋の熱烈さのたとえ。
しじ、はしが
小説ならではの文字遊びで、わりと作り込んだ小説を書いている。
裏に秘められた哲学、教訓などを各々で発見してもらえたら幸いだ。
実際に起こる出来事の中には、架空の物語よりも不思議で、波乱に富んだものがあるということ。
じじつ、しょうせつ、き
なんとか飢えずに生きていける現代の日本に生まれたのは好運だった。
心の持ちようで、この世は地獄にもなり極楽にもなるということ。
じごく ごくらく、こころ
偶然の産物。
変わった紙の形が入っていてラッキー。
色は空にほかならず、空は色にほかならない。
現実世界はそのまま空であり、しかし、空がそのまま現実世界として現れているのだということ。
しき そくぜ くう、くう そくぜ しき
愛、恋、勇気、健康、時間、世の中、ビキニなどを、自家薬籠中の物としている。
いつでも自分の思うままに利用できるもの。
また、身につけた知識や技術のたとえ。
じかやくろうちゅう、もの
キックボクシングをやれば足が長くなる。
私はそうでした。
職業上の特徴や習慣は、いつしか身について、生まれつきのようになるというたとえ。
字は読めればいいと思っていた。
しかし読みやすい字を書くことは、接客の内なのだと反省している。
字はいくつからでも上手くなる。
そろばんは若いうちに上達するが、書道は年をとるまでなかなか上達しないということ。
さんようじゅうはち、てろくじゅう
用例辛辣。
三人寄っても、一人ゼロなら全部ゼロ。
凡人でも三人で集まって相談すれば、文殊菩薩のようなよい知恵が出るものだということ。
さんにんよ、もんじゅ、ちえ
気力が鋭い、というのは何だかカッコいい。
体は小さくても、気力が鋭く才能や力量がすぐれていて、侮れないことのたとえ。
山椒の実はとても小さいが、非常に辛いことから。
「山椒」は「さんしょ」とも読む。
さんしょう、こつぶ
これは孔子が年老いたときに人生を振り返っての感想であり、孔子が30歳のときに思ったことではないようだ。
30歳になり、自分のしっかりとした立場をもって自立すること。
30歳で学識が確立し、世に立つ自信を得ること。
体力だけ使って努力したと満足する人と、意識を持って体力を使える人とでは、徐々に実力差がつくことが多い。
その人に備わっている体力と精神力のすべて。
補説
「身」は肉体。
「霊」は精神のこと。
その人のもっているものすべてを表す。
類義
全心全力
「祟り」という字を今日から書けるようになった。
イメージだけで知らない人も多そう。
かかわり合いを持たなければ、災いを受けることはないから、よけいな手出しはするなという教え。
神様とかかわり合わなければ、神様の祟りを受けることはない意から。
浅知恵だけで動かない者もいれば、深い知恵を持ちながら動かない者もいる。
浅知恵しかない者が、深い知恵のある者の真の偉大さがわからずに嘲笑すること。
大智は、小智の者にははかり知ることができないというたとえ。