佐藤さん こんにちわ。男の生き方について、お聞きしたいことがあります。私は三十代中盤のサラリーマンで、現場で手を動かしており、そんな自分は嫌いではないです。自分の同僚に、アイディアだけ出して、後輩に手を動かす仕事を振り、その結果を発表する。お偉いさんには、他者をよく巻き込んでいると評価され、また自分のアイディアの布教活動に精を出すという奴がいます。欧米では、効率的と絶賛されそうな生き方ですが、自分は快く思っていません。一方で、そんなやり方で偉くなっていく同僚に対してのひがみもあります。よく聞くような話かと思いますが、佐藤さんのご意見をいただければ幸いです。
今年の6月に、自分の庭の工事を職人と一緒にやりました。私はなんの知識もないのでとにかく力仕事のみでした。凄まじく疲れました。試合前の一番キツいときの練習よりも肉体に疲労を感じました。でも、これは体力さえあれば頭を全く使わなくても誰でもできるんです。また精神衛生的に非常に良好になりました。肉体労働に携わる人は、たとえば鬱病などの精神疾患にはほとんどかからないだろうなあ、と思いました。実際に親方は「この仕事で鬱病になった人を見たことがない」と言っていました。肉体労働は確かにキツいのですが、誰でもやれるんです。しかし反対に、アイディアをひねり出すのは、誰もがやれることではありません。そこには、それまでの読書や経験などで培ったセンスというモノが必要になってきます。誰もがやれない仕事は、支払われる対価も多くなります。専門性というヤツですね。これが知的労働者と言われる人たちです。この人たちは、自分たちのセンスを鼻にかけて、肉体労働者を下に見ることがあります。でも、間違いなく肉体労働者も必要な人たちなんです。なぜなら知的労働で産み出したアイディアを形にするのは肉体労働だからです。だから知的労働者が肉体労働者を下に見るような職場環境があってはなりません。お互いが、お互いを尊重し合えるようになれば、結束してより仕事効率が上がり、互いにとってプラスになることでしょう。