中村静香
text : 佐藤嘉洋
中村静香と出会ってしまった私の心の旅へようこそ。
私の身に起きた衝撃などよそに、何事もなかったかのように流れる雲をゆっくりと眺めていた。私の座っている椅子は、深く身体を埋めると空を自然に見上げる角度に落ち着く。リクライニングチェアほどではないが、とかく下を向いて歩きがちな現代人にとって、少しでも上を向く機会を作ろうとした設計者の何気ないやさしさを感じる……などと思えるのは私がよほど機嫌がいい証拠か。
もう癖のように開いてしまうiPhoneのスケジュール帳を確認していると、やたらと忙しいことに改めて気付かされる。引退後も変わらずキックボクシングジム「名古屋JKファクトリー」を離れることなく、身体を動かしては会長と談笑し、「ぶる~と整骨院」、「名古屋JKフィットネス」、「喫茶アミー」では経営者としてやるべきことをこなしつつ、「情報の会」をはじめとするいくつかの勉強会にも出席して、さまざまな分野の人たちと種々雑多なテーマをあらゆる角度から話し合い、議論する。
というわけでこんにちは。虎ノ門ヒルズの外に置いてある椅子は、空を見るには最適な角度だけれど、それゆえ下半身が少し上向きになるので、休憩しているOLたちのパンティーがチラチラした日にはとんでもなく恥ずかしい元気いっぱいの姿を見せてしまいそうでリラックスして空など見ることができずにドキドキ、の佐藤“パンチラドキ”嘉洋です。
引退式のとき、あるいは引退後の率直な気持ちを、しっかりと語ってみたいのだけれど、正直あらたまって自分と向き合う時間があまりないし、次から次へと良くも悪くも刺激的なことが舞い込んでくるので、落ち着いて考えることがまだできてない。ようするに、暇じゃない。どうでもいいけど、若い子たちの「ぢゃない」という言葉の使い方が結構好きで、「◯◯ぢゃない」と妻に送ってみたら「キモイ」と一蹴されたことのある佐藤“キモイぢゃない”嘉洋です。
だから、妻に相手にされない現実逃避も兼ねて、時間が少しでも空いた時は、私の引退や日本語の乱れのことなどよりも、たとえば中村静香のことをゆっくりと考えたい。
佐藤さん、あなたは表に出るべきだ
まず話さなければならないのは、今年の3月に、中部大学教授の武田邦彦先生に出会ったことだろう。最初にお会いしたとき、私はちょうどニーチェの難解な哲学書『ツァラトゥストラ』を読んでいて、そのことを話したら、とても感心していただいたのを覚えている。とはいっても『ツァラトゥストラ』の最終的な私の感想は「抽象的過ぎてよくわからない」という情けないものだったのだが……。しかしながらどうやら、それから佐藤嘉洋に対し、大変な興味を持ってもらったようなのだ。
それから拙著『1001のローキック』も読んでもらい、大変な好評価いただいた。その流れで武田先生が主宰する「情報の会」にも出席させてもらうことになった。そして2度目に出席した際には、なんと私が参加者に対して1時間の講演をやることになったのである。
「前回の発表者に対する質問の仕方とかを見てね、僕は思ったわけですよ。これは面白いぞ、と。それで今回、あなたに発表を任せましたが、やはり僕の目に狂いはなかった」
講演後の二次会で最大級の賛辞をいただき、さらに私は大変ありがたい言葉をもらうことになる。
「佐藤さん、あなたは表に出なくちゃならない人間だ。だってあなた、かなり変ですよ? 僕がこれから人を色々と紹介しますから、ぜひチャンスを掴んでください」
武田先生はその通りに、色々な人を私に紹介してくれた。先日も、先生がレギュラー出演している『ホンマでっか!? TV』の舞台裏に招待され、楽屋からスタジオまで行動を共にさせてもらった。同番組のプロデューサーをはじめ『アウト×デラックス』のプロデューサー、明石家さんまさん、マツコ・デラックスさん、その他業界関係者や大物芸能人の数々を紹介していただいたことは、私の公式ブログでも書いたのでそちらを参考にされたし。
今回はその際に出会ったうちの一人、中村静香のことについてゆっくりと思い出してみたい。
佐藤嘉洋ランキング第3位「だった」中村静香
フジテレビの楽屋に入り、武田先生と雑談をしていると、楽屋の扉が軽快なリズムで、コンコンと叩かれた。
「本日共演させていただく中村です。ご挨拶にうかがいました!」
と、可愛らしくも元気のいい声。
ん、中村? 中村……だと?
武田先生がドアを開け、彼女がするすると入ってきた。横目でチラリと盗み見る。
生だ。生の……中村静香……だ。
台本の出演者リストに「中村静香」の名前が記されていたのは、すでに確認済みだ。しかしまさか、横目ながらも生の中村静香を見ることができるなんて。
先生と軽い挨拶をして、部屋を出る中村静香。こちらに戻ってくる武田先生の顔がどことなくニヤついている。
「佐藤さん、さっきの彼女、ガチャピン顔じゃないの?」
ガチャピン顔については『1001のローキック』を通じて、先生も興味を持ってくれている。ちなみに2015年12月には、このガチャピン顔について、私は1時間の講演をすることになっている。
「何を言っているんですか、先生。彼女は佐藤嘉洋ランキング第3位の、あの中村静香ですよ!」
そうですか、と先生は笑いながら楽屋を出て、隣の楽屋へ挨拶に行こうとしている中村静香に「ちょっとちょっと、あなた」と手招きした。そして、
「僕の後ろにいる彼ね、キックボクシングの世界4階級チャンピオンでね、あなたのファンだって言うんですよ。ちょっと写真を一緒に撮ってあげてもらえませんか?」
「えー、キックボクシングですか。カッコイイですね!」
カ、カッコイイ……だと? 佐藤嘉洋ランキング第3位の、あの中村静香が?
ぷすん、ぷすん。と、頭の回路がショートする音が聞こえた。K-1MAX時代、周りにイケメンキャラが多すぎて、TV出演時にカッコイイと言われることは、ただの一度もなかったと記憶している。つまり、私はいわゆる地味なキャラとして扱われていた。TVが与える印象の強さというのは相当なもので、一度認識されたら覆ることはそうそうない。いや、そもそも魔裟斗というスーパースターでパイオニアありきのK-1MAXであったから、魔裟斗という太陽の光を引き立たせる脇役として、私のような地味キャラが必要だったことは当然だろう。
そんなキングオブ地味の佐藤嘉洋に、である。あの中村静香がお世辞かどうかは別として、「カッコイイ」という単語を発したのである。私は世の地味な男性諸君に胸を張って告げたい。一つのことをがんばって、がんばって、がんばり抜いてみると、地味男にもたまにはとんでもなく良いことが起こるもんだ、と。
「はじめまして、佐藤嘉洋と申します。ゴッドタンの『飲みカワ選手権』やキョウリュウジャーも見ていました。中村さんは、佐藤嘉洋ランキング第3位なんです!」
中村静香は「えっ、3位なの?」という怪訝な表情を一瞬見せながらも、さすがはトップアイドルである。
「1位になれるようがんばります!」
と、自ら私と握手をしてくださったのである。
……2だ。……2位だよ静香。いや、もうこの際、しーちゃん、と呼んでしまってもいいのではないか。
握手した刹那、その時まで長らく第2位にいた佐々木希を中村静香が一気に抜き去っていく。2009年のK-1のとき、佐々木希とすれ違ったことがあった。せっかく向こうから挨拶してくれたのにも関わらず、恥ずかしくて目も合わせられずに「お疲れさまでした」と通り過ぎてしまったあのときの佐藤嘉洋よ、さようなら。今、君は、中村静香と握手をしている。
格闘技のTV放送が少なくなって世間的な知名度はなくとも、積極的な勉強や尊い経験を積んで、私は人間としての魅力を上げることはできているのではないか。現に、私の周りには、有名無名は関係なく、素晴らしい人間がたくさんいる。そのような人間と関わり、遊んで、語り合うだけで、人生はなんと味わい深くなることか。有名か無名か、で判断する必要は全くない。面白いか、面白くないか、つまるか、つまらないか、である。その結果、私は中村静香と握手をした。
今まではずっと、中村静香は中村静香だった。直接知らない有名人やアイドルは、みんな呼び捨てである。しかしこれからは、中村静香「さん」と呼ばなくてはならない。写真や映像の中の人だった彼女が、私の目の前にいて、話をすることができた。夢のような舞台に片足を入れながら、もし私がこのテレビ番組というリングで戦ったらどうなるか、ということだって妄想してみる。私の妄想は、意外と現実になることが多い。
番組の収録中は観覧席も用意してもらった。スタジオと私との間には、出演者が収録中に確認するのだろうか、大きなモニターが障害物となって、スタジオの中心付近の視界を塞いでいた。おかげで中村静香の姿はほとんど見えない。しかし、何かの拍子に私の視界へ入ったときにはすかさず、生の中村静香の姿を、ここぞとばかりにこの目にしかと焼き付けた。リング上の相手には積極的に圧力をかけ続けて参りましたが、アイドルには面と向かっては、なかなか直視できない弱虫小僧の佐藤嘉洋です、こんばんは。
虎ノ門ヒルズの表に置いてあるソファーに身を沈めながら、OLの「パン」が「チラ」するのでは、と妄想しては「ドキ」っとなりながらも、私の興奮する気持ちなどおかまいなしに静かに流れる雲をゆっくりと眺めていた。突然びゅうと強い風が吹いてOLとおぼしき女性のスカートがひらりとゆれた。白い何かが目の端をかすめた、ような気がした。でも、凝視はしない。先日ここぞとばかりに目に焼き付けた中村静香と、ひらりとスカートを揺らしたOLとをリンクさせる。こちらは向いてくれるな。君は後ろを向いた中村静香なんだ。そのまま立ち去ってくれればいい。私の妄想力はなかなかどうして素晴らしいじゃないかと、うんうん頷きながら、上向きの腰を引くべく席を立った。
明るく生こまい
佐藤嘉洋 at 虎ノ門ヒルズ
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