引退宣言、新しい光
text : Yoshihiro Sato
みなさんこんにちは。愛を知る県、愛知県の佐藤嘉洋です。
この度、キックボクサー佐藤嘉洋は、2015年7月21日を持ちまして現役を引退することに決めました。
みなさんこんにちは。愛を知る県、愛知県の佐藤嘉洋です。
この度、キックボクサー佐藤嘉洋は、2015年7月21日を持ちまして現役を引退することに決めました。
先月、師匠である小森会長と話し合いを持ちました。
「なんにでも賞味期限があるからな。ここまで実績を積んだのだからお茶を濁す感じじゃなくて、ビシっと決めた方がいいんじゃないか」
そう助言をもらい、自分の中でも踏ん切りがつきました。
私は自分がまだまだ強くなっていると信じてリングに上がり続けました。前よりも弱くなったと感じたら引退しよう、と。それが、ジョーダン・ピケオー戦でした。
今年の1月にサニー・ダルベック戦でKO負けを食らい、その反省を踏まえ最高のコンディションに仕上げ、試合に臨みました。しかし、自分が強くなっている以上に弱くなっている部分を露呈してしまいました。もうこれ以上強くはなれない。私は選手生活の中で、初めて諦めました。もちろん、諦めてもまた再起してがんばる、という道もあります。けれど、ふと冷静になって自分の戦歴を振り返ってみたら、自分でも驚くくらいの肩書きの多さ、実績となっていました。もう充分じゃないか、と。「100戦までやる」。常々そう言ってはきましたが、ついにその大きな夢が達成できないまま、リングを去ることになります。
しかし、K−1MAXが無くなった以後も現役選手として踏ん張り続けてこられたのは、自分の中で無理やりにでも「夢」を作っていたからこそ。自分の中で大きな夢を掲げ続けなければ、早々に絶望して終止符を打っていたことでしょう。私の持ち前の妄想力は、何もエロいことだけに活かされているわけではないんです。そこのところのご理解よろしくお願いします。
世界中の強豪を中心に戦い続け、80戦まで自分が強くなっていると信じてやれたのだから、まあここでよしとしましょう。また、ことさら強調しておきたいのは、私の対戦相手たちはみな、素晴らしい強者ばかりだったということです。これは、紛れもなく自分自身の矜持となっています。
さて、キックボクシング時代の私の戦績を振り返ってみますと、魔裟斗さん並みのスーパースターになっていても全く遜色のない実績です。しかしながら、首相撲と肘打ちで相手に何もさせずに勝つことも多かったため、「強いけど地味」「強いけど華がない」と言われていたのも事実。ただ、「華」という曖昧な概念に関しては、いまだ理解に苦しんでいます。それが、佐藤嘉洋はキックボクシングでは最強になったのに、スーパースターになれなかった所以でしょうか。
本来ならば私は、キックボクシングとは違うルールのK−1には行きたくありませんでした。本当ならばキックボクシングがK−1のように光り輝く舞台になってほしかった。しかし、キックボクシング業界が団体同士で足を引っ張り合っている間に、一枚岩だったK−1がするすると抜け出し、K−1はキックボクサーたちの憧れの舞台になりました。そもそもK−1はキックボクシングとは別競技だったのに……。
私自身キックボクシングルールでは、先ほども申し上げたように、当時はほぼ無双状態を誇っていました。K−1に出ていた選手たちを次々と撃破しても、まったく世間には認められない日々が続きました。
「もっと認められたい。もっと、認められたい!!」
そう、私は「承認欲求の権化」と化していました。そしてついには、お世話になっていた全日本キックボクシング連盟を裏切り、半ば強引にK−1へと移籍したのです。このことは拙著『1001のローキック』にも詳しく記しましたが、関係者、会長、仲間に対し、大変なご迷惑をおかけしました。私は自分が成功するチャンスを得るために、何人かを裏切りました。私は成功したかったのです。
しかし、本当に申し訳ないことをしたのも事実です。だから、一生謝り続けます。
K−1参戦時、私は殴り込みをする覚悟でK−1のリングに上がっていました。
「俺はK−1ファイターではなく、キックボクサーなんだ」
しかし、2007年のことです。アルバート・クラウスと互いに頭のネジが外れたような試合をしてからは「ああ、自分はもうK−1ファイターだ」という気持ちが強くなりました。
自分を成長させてくれたのはキックボクシングですが、自分を光り輝かせてくれたのは間違いなくK−1だったんです。それならば、もうK−1と仲良くしよう、一緒に盛り上げよう、と。だから、新しいK−1が復活したとき、僕は思いました。中身は少し違うけれど、K−1という名の大会がそこにあるのならば、一緒に盛り上げていきたい、と。
若い世代には、私よりもよほどスター性のある選手たちがわんさかといます。かつてのK−1のように光り輝く舞台ができたとしても、彼らはみな必ずや引き立つ存在になれることでしょう。私も本当は現役選手として、若手と苦楽を共にし、もう一度K−1という存在を表舞台で光輝くものにしたかった。それができなくなるのは、今でも少し寂しいです。
ただし、K−1の再興は、何も現役選手の力だけでは成し得ません。リング上では二人の選手しか戦っていませんが、彼らの戦うリングには、実に多くの人が下から支えていることも、私は知っています。だから、これからは選手としてではなく、裏方から大会を盛り上げられるよう、選手以上に目立つことなく、驕らず、ひっそりと、選手の魅力がさらに引き立つようなことを色々と考えているところです。
私は昔から「人に喜んでもらうこと」が好きでした。人に喜んでもらえれば、自分も幸せな気持ちになる。まさに誰も損をしないシステム。小学校のときから、クラスメイトをパロディーにした小説や漫画を描いて、笑わせることが好きでした(無理やりにでも)。たまたま縁あって、近所にあった名古屋JKファクトリーに入り、小森会長やジムの先輩に惚れたおかげでプロのキックボクサーを志し、成れました。そしてジムの仲間、後輩に恵まれたおかげで、ここまで長く現役を続けられました。
しかし、実のところ私は戦うのが苦手なんです。もし会長や先輩がいなくて、私自身だけであればそもそもキックボクサーなんて目指さなかったでしょうし、周りの人に報いたい思いが強かったことが、ここまで続けてこられた大きな要因だったことは間違いありません。
そして、佐藤嘉洋個人のこれからについて。
選手としては引退しますが、表現者としては、むしろ今までが準備期間で、これからがスタートになるのでしょう。にもかかわらず、数年前に講談社から作家デビューできたことを筆頭に、現役時代からたくさんのことを仕込むことができました。結婚式の余興動画もなかなかのクオリティで作ることもできましたし、ツイッターのアイコンプレゼントでイラストを数多く書いたりもしました。辞書も「読み」始めました。書籍の発行に合わせて開設したサイト『1001の首相撲』では、みなさんから寄せられた1001の質問にも答えました。
とは言いつつも、私の本業は会社経営です。まずはそちらをしっかりと成り立たせ、さらなる発展を見据えながら、このサイト「1001Kick.com」を凄腕のクリエイター陣と共に「大人の悪ふざけ」をテーマにして存分に楽しんでいきます。また企画の一つを「HERO PROJECT」と名付けたように、格闘技に関わる人すべてがヒーローになれることを証明するために、言葉とビジュアル、映像を駆使して新しい表現にチャレンジしていく所存です。あなたのところにも、ふと取材に行くことがあるかもしれません。
やるからには、定期的、継続的、徹底的にやります。目標としては、文章、写真、映像、イラストすべてにおいて、数々の賞を獲るマルチクリエイター集団になります。最終的な目標は映画『フォレストガンプ』のような不朽の名作を、キックボクシングをテーマに作りたい、ということでしょうか。キックボクシングで培った、このイカれた継続力を活かし、自分自身がとことん楽しみ、努力工夫修正研究を重ね、あなたにもとことん喜んでもらいたい。
辛いことも多いですけど、まだまだ楽しいことは続いていきます。どうぞ引き続き、何も変わらずよろしくお願いします。
私は何にしても、がんばり続けます。勝つまでやります。
私でも成れた。だから、あなたも成れる。
明るく生こまい
佐藤嘉洋
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