
間の抜けた『新世界より』が流れてきた
text : 佐藤嘉洋
引退を発表して早一ヶ月。自分の現在の気持ちと、今までの自分を振り返ってみた結果、ところどころのお肉がはみ出ていた。
引退を発表してから、早一ヶ月が過ぎようとしている。会見を終えて少し間をおいたときの感情も聞かせてほしい、と密着していたライターから要望があったので、ここに記そうと思う。
私は、海辺に佇む瀟洒な旅館を訪れていた。この時が今夏に休養をとる唯一のチャンスだった。のらりくらりとやっている印象かもしれないが、私は意外と忙しいのだ。特定の休みもなく、仕事もプライベートも区別がない生活だ。だから、仕事の隙間を見つけたら、ここぞとばかりにうまく利用して遊ぶ。時間がないなら時間を作るしかない。
If you have no time, you can only make time.
である。何も気にせず名言チックに作ってみたけど、なんとなく伝わるだろうか。いや、これからはグローバルに生きていかなきゃ、と思ってね。
昼間には海水浴場にも出向いた。推定20代前半の女の子たちが、浜辺をモデル歩きしていた。彼女らは、わざと小さめのビキニを着用しているのだろうか。ところどころ素敵なお肉がはみ出ていて、こちらに“ご挨拶”をしてくるではないか。私はおもむろに度入りのサングラスをかけ直し、カラーレンズの奥にある目で、ところどころに丁寧に“ご挨拶”をした。
さて、「引退」と聞くと、寂しさや悲しみの感情がない交ぜとなって、涙涙の会見になったりするのだが、私はそれなりに晴れ晴れとした会見だったな、とYouTubeの映像を見て思った。ただ、少しだけ言葉に詰まったところはあった。「本当はもう一度表舞台に出たかった……うんぬんかんぬん」というところである(動画内7:35くらい)。
これは嘘偽りのない本音である。いや、そもそも今回の会見自体、建前はまさに、ゼロ。全てが本音トークだった。それもこれも、ここまで全力で飛び続けた結果である。そして今、ここに着地した。
プロキックボクサーとして、私は終止符を打った。人生の一大決心だったことに変わりはない。けれど……。
プロとしての哲学は十人十色である。現役生活を続けていく中で、それぞれが「一番都合のいい哲学」を自分の中で身につけていく。だから、私がこうだからといって、他人の哲学を否定することは一切ない。なぜなら、「私は私、あなたはあなた」だからだ。このスタンスでいると、人に対して寛容になれる。
自分の親兄弟、配偶者、恋人など、近しい人間になればなるほど、人は自分の考えを押しつけがちだ。しかも、さらにやっかいなことに、近しい人間になればなるほど、自分とは性格が違うだの、気が合わないだの、と感じることが増える。だから「私は私、あなたはあなた」のスタンスを貫くことで、トラブルをかなり回避できる。
また、「自分と同じ人間はいない」ということも理解しておかなくてはならない。
仲良くなって、酒を飲み交わせば交わすほど、他人と自分との相違点が目立ってくる。そして人は争う。人から離れていく。二度と顔も見たくない、と思う。世界で一番不幸になれ、と願う。挙句の果てに、死んでしまえ、と考える。少しおおげさかな? いや、でもそんな気持ちになったこともあるでしょう?
・私は私、あなたはあなた
・自分と同じ人間はいない
この2点を抑えておけば、人間関係のトラブルはわりと少なくなる(けっしてゼロにはならないので要注意だけれど)。
閑話休題、プロとしての哲学に話を戻そう。現役を続けるうちに気づいたことがあった。それは、私には「オーラがない、スター性がない、華がない」ということだ。
この「3ないファイター」として自分に何ができるのかといったら、それは「最強」を目指すことだった。格闘家としての根源的な夢でもある「最強」。
観客を総立ちにさせるような試合を、毎回のように繰り広げられる選手もいる。
私も人に喜んでもらえるような試合をしたいとは思ってはいたが、万人受けはしなかった。私は、私の中で、全力を尽くしに尽くす試合しかできなかった。 勝ちに執着し、相手を最終的に倒すことにただただ専念し、前に出て勇ましく戦うことしか! それができなければ、私の一番嫌いな「惰性で続けること」になってしまうと思った。単に生活するためだけに試合をするわけにはいかない。それができなければ、あるいは自分がもうダメだと思ったら、もうダメなのである。
言っていることは少し格好良く聞こえるだろうか。しかしこれこそが、私にとって一番都合のいい“プロとしての哲学”かもしれない。
私のことを最後まで応援してくれたファンの皆さんは、どうか胸を張ってほしい。1998.12.25のプロデビュー戦(vs宮本勲)から、2015.5.4の最終戦(vsジョーダン・ピケオー)まで、妥協することなく、まだ強くなっている、最強になれる、と信じた状態で、私は徹頭徹尾リングに上がり続けた。ファンに対して見せたかったこと、ファンが何を見たかったのか、そのことは常に意識してきたつもりだ。私は、それができたから、ここまで戦ってこれたのだ。そして、それが出来なくなったから、リングを去ることにしたのだ。
いざ歩みを止めてみて、冷静に自分を振り返ることもできた。佐藤嘉洋の戦績、一連の選手活動を俯瞰してみると、2011年6月のアルバート・クラウス戦で激闘を繰り広げた末のギリギリの勝利を境に、緩やかに下降線を辿っていったのだな、と。
試合後のインタビューを見てもわかる通り、完全に燃え尽きた表情、言動をしている。おいおい佐藤大丈夫か、というような様子だ。
試合後、30歳を越えたこともあり、小森会長に相談した。
「自分ももう30代ですし、これからは量より質の練習に変えていくのはどうでしょうか」
「うーん、そんなに量はやってないけどなあ」
そう一蹴され、ポキっと心が折れる音がした。とはいえ、小森会長はその場で賛同することは少ないが、あとあと選手の気持ちを汲んで動いてくれる人である。その後は量より質の練習へと徐々にシフトチェンジしていき、練習量自体は20代の頃よりもだいぶ少な目になっていった。しかし、量も質も高い水準で20代のときは追い込めたからこそ、佐藤嘉洋は素晴らしい戦績(特に1998-2005のキック時代)を残すことができたのではないか。量を落とした分、さらに高い質で、と現役のときは信じて疑わなかったが、戦績は20代ほどには奮わなかったのも事実。つまり、「量より質で」と感じた時点で、自分は肉体的にも精神的にも負けていたのかもしれない。これは、引退を決めて、いざ現役時代の道のりを振り返ってみたときに初めて気づいたことである。
オーシャンビューのテラスに置いてある椅子に座り、潮騒を聞きながらiPhoneをピコピコしていたら、山の上に設置された大型スピーカーから、ドボルザークの『新世界より』が少し間抜けな金属音をともなって流れてきた。どうやら夕方17時の合図のようだ。
夜明けが来た、とK-1MAXに出るとき、私はブログに書いた。
http://ameblo.jp/sato-kick/archive13-200505.html
(2005年5月3日『夜が明ける 陽が昇る』佐藤嘉洋公式ブログ)
たとえるなら、午前中はK-1MAXでぞんぶんに働いて良い汗をかいた。昼間は風来坊としてさまざまな団体、さまざまな国を渡り歩いた。条件は午前中に比べると悪く、酷暑で動きが鈍った。しかし、一度も休まずに踏ん張ってがんばり通した。そして80戦を終え、格闘家として引退した今が、ちょうど夕方17時くらいなのかな。
もうすぐ陽が落ちる。ということは、夜になれば楽しい宴が始まるわけだ。冒頭にもあった素敵なお肉も宴には必要ではないかと頭をよぎるが、そこはグッとこらえている。愛知県の誠実さランキングトップ10に入るほどの私だ(佐藤嘉洋調べ)。グッとこらえるしかあるまい。
あなたの応援していた佐藤嘉洋は、最後の一瞬まで戦士だった。人生の一大決心をし、引退はある意味人生最大の挫折だったのかもしれない。けれど、長い長い戦いがひとまず終わったのだ。「やり切った」「よくがんばった」「がんばり抜いた」という思いの方が強い。だから、とりあえず今は、解放感に浸らせてほしい。
楽しい宴が始まり、はしゃぎ疲れて眠って、新しい夜明けが来たなら、またしっかりと全力を尽くそう。ついつい、とことんまでやってしまう性分だから、肩の力を抜くのも忘れずに。なるべく楽しい気持ちで。そして次は10年後くらいにまた、宴が待ってる。
「明るく生こまい」って、つまりはそういうことなんじゃないかな。
8月22日は、とうとう引退セレモニーだ。
明るく生こまい
佐藤嘉洋
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