posted : 2022/09/22

【具鷲小説とは】
作者の構想力と読者の想像力によって、顔、声、性格などを意のおもむくままに描写し、読者それぞれ独自の想像世界を構築させることを目的とする散文学。読者は、文字だけで世界を構築できることに希望を抱き、自分の想像力があれば宇宙の果てまで行けることに驚嘆する、かもしれない。
〔具鷲辞典零版〕

慈悲深く強欲なワイン


古いビルの二階を洒脱に改装したフレンチ鉄板の隠れ家で、育ちの悪い二人の男が、ある反省会をしていた。すでに白ワインのボトルを一本空けている。

「煩悩(ぼんのう)って、百八個もあるらしいよ」
「こじつけで無理やり作ってるだけじゃないの? 大まかに分けたら少ないって。掘り下げて細分化したら、いくらだって作れるよ。百八煩悩っていう四字熟語があるけれど、この場合の百八は、非常に多いっていうのが本来の意味なんだ」
「兄弟喧嘩の『百っぺん殺す!』みたいなやつかね」
「今はどうがんばっても、一度しか死ねないからなあ」
 
馴染みの美人ソムリエが、二本目のワインボトルの紹介をしに来た。目の前に赤ワインが四本並べられた。その中の赤を基調とした一番派手なラベルのワインで、
 
「こちらは慈悲深い味となっております」
 
と説明を受けた。煩悩まみれの二人は目を合わせ、そして頷いた。これをお願いします、と。二人は長年の付き合いで、たまに飲む仲だった。幾分かマシだったのは、自分が傲慢だと自覚していたことだ。ともに似たような背格好で、わかりやすい違いといえば、外見は髪型、内面は志くらいだった。
 
さて、新明解国語辞典第八版には、こう記されている。
 
こころざし 【 志 】
① 人生における、その人としての到達目標。
②相手の立場や事情を思いやって示そうとする誠意。  また、その表われとしての贈り物など。
③ 香典返し・お布施などの包み紙の表に書く言葉。
 
「俺は心に響いたなら、志を出してあげたい」
「俺は貧乏性なのか、相場を考えてしまうんだ。相応の志を、当然見せてもらいたいものだ。プロならば」
 
……メインの肉料理が目の前に出された。今夜は豚をチョイス。慈悲深いワインとベストマッチしたようで、反省会にも関わらず、二人ともご満悦の様子で乾杯した。
 
「女子と飲むのもいいけどな。男同士も面白い」
「同感だ。ところで、煩悩に話は戻るけどいいかい?」
 
付け合えのキノコのソテーと共に赤ワインを一口。酒の回った片割れが、
 
「うん。煩悩って百八個もあるらしいよ」
「だからこじつけだって。でな、煩悩には際限がないだろ。たとえ満たされていても、隣に自分より幸福に見える者がいると、急に不幸を感じてしまう」
「幸福は比べると、窮屈になるからね」
「ああ。おい、それにしても、慈悲深い味だ」
「肉と合うよね、赤ワイン。ラベルも慈悲深くていい」
「まるで仏様のようだな。有り難い」
 
二人は両手を合わせ、今日一日の幸福に感謝を捧げた。デザートには、ヨーグルトのジェラートをチョイス。
 
「煩悩があることが、生きている、という証なんじゃないか。煩悩がなければ、生きているのか死んでいるのか、よくわからないからな」
「思い悩む自分を楽しめたらいいんだけどね。死ぬまでにどれだけ楽しんだかだよ。良いことも悪いことも、どのみち起こる」
「飲みすぎた翌日は、辛い一日になるのが世の常だ」
 
二人は最後の一滴まで、出されたワインを飲み切った。
 
「うん。最後まで慈悲深い時間を過ごすことができた。さあ、今日の反省はこれで終わりだ。明日はまた来る」
「なんだか謙虚な気持ちに近づけた気がするよ」
 
……平日の割に混んだ夜だったが、無事に営業終了。後片づけをしていた女ソムリエが「あっ」と口に手を当てた。
 
「あらやだアタイ、ワインの説明を間違えちゃった。あの二人が飲んだのは、強欲な味の赤ワインだったわ! でも、二人とも楽しそうだったから良しとしましょ。良いワインには変わりないわ」
 
と、あっけらかんと言った。

……男たちは勘違いしたまま、駅まで歩いた。
 
「ああ慈悲深い味だった。ところで煩悩ってさ」
「まだ煩悩の話するの?」
「いや、傲慢はともかく、謙虚さや愛、慈悲深さ、崇高な志とかいった素晴らしい感情も、表裏一体で考えると、煩悩の一種じゃないか。だから煩悩は悪くないぞ」
「妬む側は時に、慈悲深さすら強欲とするからなあ」

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