丸くて浅い青色の缶ケース
小説は自分の想像力次第で独自の創造世界を構築できます。顔も声も時には名前や性格でさえも……。小説は人類最高のエンターテイメントかもしれません。
昔々、ビンという名の少年がいた。ビンは物心つく前に実母を亡くしていたが、彼の父は程なくして再婚した。まだ幼い息子のためだったのかどうかはわからない。
やがて、継母は二人の子に恵まれた。しかし、未っ子の産まれた冬には、家族は着るものにも困る生活苦を味わっていた。首の座る前の赤ん坊に着せる服がないからと、継母はビンの着ていた服を一枚はぎ取った。
「お母さん、寒いよ」
目を逸らした継母は震える赤ん坊に服をかぶせた。薄着になったビンは、両手で自らを抱きしめ震えた。ビンの目に、涙が浮かんだ。厳しく貧しい時代だった。
ビンの父は都会へ出稼ぎに行っていた。一年の半分以上は家を空けていたが、ビンの父がちょうど家に戻ってくると、家の中では、およそ冬の格好とは思えないビンが震えていた。
「お父さん、おかえりなさい」
ビンの父は、帰り道に会った隣近所のトラブルメーカーの人妻から、火に油を注ぐ告げ口を受けていた。
「噂ですけど、ビンくんがひどい虐待を受けているそうですよ。手足の先は霜焼けもひどくて可哀想」
ビンの父は長男の手を取った。指先はしっとりとしていたが、霜焼けを見て嘆いた。そして継母による虐待だと決めつけて怒った。ビンの父にとっては、ビンも再婚相手の二人の子どもも自分の子どもには違いなかった。
そしてビンの父は、平等に子どもを扱えない継母を家から追い出そうとした。継母は、実の幼子二人を抱えて震えていた。そこでビンが、幼いながら覚悟を決めた表情で父の前に出た。親に口答えすれば殴り飛ばされていた時代である。
「お母さんがいれば、こごえるのはぼく一人で済むけれど、いなくなったらみんなこごえちゃう。おこるなら、ぼくをおこって」
ビンは震える手で、ある物を父の前に差し出した。
……昨日、継母が実の子ども二人を連れて家の外を歩いていると、路傍に佇んでいた30cm程度の小人に声をかけられた。
「やあ、私は時の旅人。この塗り薬を息子さんの手足にどうぞ。きっと楽になりますよ。血は繋がっていなくても、愛しているんでしょう」
不思議と説得力のある言葉だった。時の旅人は、丸くて浅い青色の缶ケースを継母に渡した。産まれたばかりの赤ん坊のために、いくらかは身体の大きいビンの服を継母は泣く泣くはぎ取っていたのだ。これでビンにも少しは楽な思いをさせられるかもしれない。
「元々は人の身体に悪いものからできているんです。でもやり方によっては、有用なものにもなります。その恩恵を受けていることを棚に上げて、頭ごなしに否定して自ら首を締めた時代もありましたねえ」
と言って、時の旅人は風の中へすっと消えた。
家に戻った継母は、ビンの手足に軟膏を塗ってやった。潤いが戻ったひび割れた霜焼けの手足。痛みもいくらか薄らいだ。ビンの目に、涙が浮かんだ。
……
「これ。きのう、お母さんからもらったんだ」
ビンが渡したのは、丸くて浅い青色の缶ケースだった。ビンの父が受け取って蓋を開けてみると、ふわっと心地よい香りがした。中には白い軟膏が詰まっていた。
幼いビンの強い言葉と眼差しに、事情を勘違いしていた父は継母を追い出すことを思いとどまった。継母はビンの言動に感動しつつも、心底では血の繋がりを優先していた自分を認め、反省した。
それからというもの継母は「究極の選択に迫られたら、最終的には血の繋がりを優先するかもしれない。だからこそ極限状態に行くまでは、子どもたちを平等に扱います」という公明正大な気持ちを心がけた。
一方、出稼ぎ帰りのビンの父はというと「すべては時代のせいだ」と、なけなしの金で買った酒を、しっとりとした手で持ち、ちびちびと舐めていた。
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