posted : 2022/05/30

【具鷲小説とは】
作者の構想力と読者の想像力によって、顔、声、性格などを意のおもむくままに描写し、読者それぞれ独自の想像世界を構築させることを目的とする散文学。読者は、文字だけで世界を構築できることに希望を抱き、自分の想像力があれば宇宙の果てまで行けることに驚嘆する、かもしれない。
〔具鷲辞典零版〕

〜 紫陽花と不良坊主 〜


断崖絶壁の山奥で修行を積んでいる坊主がいた。本人は「トラ」という名の猫を飼っていると言うが、一目では虎である。ただ、鳴き声は「にゃあ」だった。

「猫だろうが虎だろうが、どっちでもいいじゃないか。この子はトラだ」

坊主が都会に住んでいた頃、二人の友人に恵まれた。二人は坊主が修行する古寺へしばしば訪れ、一升瓶を持ち込んでは飲み交わしていた。今回は朝から来ている。ちょんまげ姿の都会人が、修行僧に乾杯を促す。

「不良坊主、今日も良い飲みっぷりになりそうだな」
「たまの気狂(きちが)い水は最高だ。酒だけ置いて帰ってくれてもいいんだぞ。独りで飲むから問題ない」
「ふふふ、つれないことを言わないで」

と、小太り気味の都会人が坊主に酒を注いだ。外はやや騒がしかったが、三人は気にせず「わはは」とまた乾杯した。

……朝起きて外に出ると、隣の山に横穴が開いていた。壮観な風景に驚いていると、近くで湯気が見えた。温泉が湧いていた。三人は足取り軽く、近づいていった。物知りのちょんまげが、源泉に触れて頷いた。

「湯量は少ないけど熱さは充分だ。井戸から水を引っ張ってこよう」

ちょんまげと坊主は一致団結し、井戸と源泉をうまく繋げた。温泉は、良い塩梅(あんばい)の温度になった。そして、簡易的な足湯が完成した。

力仕事の苦手な小太りは、橋を渡って少しのところにある紫陽花(あじさい)を愛でた。虎のようなトラが、「にゃあ」と鳴いた。

……早速、三人は足湯に入った。風は、さわやかだった。調子に乗った鶯(うぐいす)が、ほうほけきょ。

「極楽極楽、これじゃあ修行にならんだろ」
「人の命は風に舞い上がる塵(ちり)のようなものだよ。あちらこちらへ吹き飛ばされて、いつ終わりを迎えるかわからない。だから、毎日を生き切る。楽しむときは、存分に楽しむ。今日は、明日のために休む」

昨日から休み過ぎじゃないの、と小太りがからかった。三人は、しばらく足湯を楽しんだ……

「雨が降りそうだな。帰りは橋の手前まで送るよ」

都会と繋がる橋まで向かう道すがら、小太りが坊主に聞いた。

「修行なのに、楽しんでもいいんだね」
「すべてを辛く過ごすのが、修行とは思わない。辛さの中に楽しさを見出せばいい。辛いと思うからどんどん辛くなる。楽しいと思っている間は辛いと思えないだろう。心は、一人に二つ無い」
「それなりに修行の成果は出ているようだな」

ちょんまげが評価し、坊主は舌打ちをした。三人は顔を見合わせ、「ふん」と鼻を鳴らして笑った。話に夢中の三人は、橋の向こうまで一緒に渡った。

「ようやく寒い冬も明けたかと思っていたら、もうこんな季節か。どれどれ」

と坊主は、今を咲き誇る立派な紫陽花に誘われた。

「人は花に名をつけるが、花びらには名をつけない。人にも名をつけるが、髪や爪には名をつけない。名をつけると、常に争いが起こる。本当は皆、兄弟みたいなものなのになあ」

すると、「にゃあ」とトラが鳴いた。坊主は何かに気づき、「しまったあ」と嘆いた。都会人の二人が気になって声をかけると、

「修行が終わるまで、この橋は渡るまいと約束していたのに、また渡ってしまった」

花がきれいすぎて迂闊(うかつ)だった、と坊主は頭を抱えた。悪友たちは都会へ戻ろうと誘ったが、坊主は断った。

「一日に二度朝はない。今ここでやるべきことがあるんだ。時間は過ぎる。一秒も待ってくれない。都会へは、頃合いを見て戻るとするよ」

しとしとと小雨が降り始めた。それじゃ、と三人は別れた。

都会人は小走りで街へ。坊主は歩いて古寺へ。

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