
紫陽花と不良坊主
断崖絶壁の山奥で修行を積んでいる坊主がいた。本人は「トラ」という名の猫を飼っていると言うが、一目では虎である。ただ、鳴き声は「にゃあ」だった。
「猫だろうが虎だろうが、どっちでもいいじゃないか。この子はトラだ」
坊主が都会に住んでいた頃、二人の友人に恵まれた。
二人は坊主が修行する古寺へしばしば訪れ、一升瓶を持ち込んでは飲み交わしていた。
今回は朝から来ている。
ちょんまげ姿の都会人が、修行僧に乾杯を促す。
「不良坊主、今日も良い飲みっぷりになりそうだな」
「たまの気狂(きちが)い水は最高だ。酒だけ置いて帰ってくれてもいいんだぞ。独りで飲むから問題ない」
「ふふふ、つれないことを言わないで」
と、小太り気味の都会人が坊主に酒を注いだ。
外はやや騒がしかったが、三人は気にせず「わはは」とまた乾杯した。
*
朝起きて外に出ると、隣の山に横穴が開いていた。
壮観な風景に驚いていると、近くで湯気が見えた。
温泉が湧いていた。
三人は足取り軽く、近づいていった。
物知りのちょんまげが、源泉に触れて頷いた。
「湯量は少ないけど熱さは充分だ。井戸から水を引っ張ってこよう」
ちょんまげと坊主は一致団結し、井戸と源泉をうまく繋げた。
温泉は、良い塩梅(あんばい)の温度になった。
そして、簡易的な足湯が完成した。
力仕事の苦手な小太りは、橋を渡って少しのところにある紫陽花(あじさい)を愛でた。
虎のようなトラが、「にゃあ」と鳴いた。
*
早速、三人は足湯に入った。
風は、さわやかだった。
調子に乗った鶯が、ほうほけきょ。
「極楽極楽、これじゃあ修行にならんだろ」
「人の命は風に舞い上がる塵(ちり)のようなものだよ。あちらこちらへ吹き飛ばされて、いつ終わりを迎えるかわからない。だから、毎日を生き切る。楽しむときは、存分に楽しむ。今日は、明日のために休む」
昨日から休み過ぎじゃないの、と小太りがからかった。
三人は、しばらく足湯を楽しんだ。
*
「雨が降りそうだな。帰りは橋の手前まで送るよ」
都会と繋がる橋まで向かう道すがら、小太りが坊主に聞いた。
「修行なのに、楽しんでもいいんだね」
「すべてを辛く過ごすのが、修行とは思わない。辛さの中に楽しさを見出せばいい。辛いと思うからどんどん辛くなる。楽しいと思っている間は辛いと思えないだろう。心は、一人に二つ無い」
「それなりに修行の成果は出ているようだな」
ちょんまげが評価し、坊主は舌打ちをした。
三人は顔を見合わせ、「ふん」と鼻を鳴らして笑った。
話に夢中の三人は、橋の向こうまで一緒に渡った。
「ようやく寒い冬も明けたかと思っていたら、もうこんな季節か。どれどれ」
と坊主は、今を咲き誇る立派な紫陽花に誘われた。

「人は花に名をつけるが、花びらには名をつけない。人にも名をつけるが、髪や爪には名をつけない。名をつけると、常に争いが起こる。本当は皆、兄弟みたいなものなのになあ」
すると、「にゃあ」とトラが鳴いた。
坊主は何かに気づき、「しまったあ」と嘆いた。
都会人の二人が気になって声をかけると、
「修行が終わるまで、この橋は渡るまいと約束していたのに、また渡ってしまった」
花がきれいすぎて迂闊(うかつ)だった、と坊主は頭を抱えた。
悪友たちは都会へ戻ろうと誘ったが、坊主は断った。
「一日に二度朝はない。今ここでやるべきことがあるんだ。時間は過ぎる。一秒も待ってくれない。都会へは、頃合いを見て戻るとするよ」
しとしとと小雨が降り始めた。
それじゃ、と三人は別れた。
都会人は小走りで街へ。
坊主は歩いて古寺へ。
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